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広島地方裁判所 昭和60年(ワ)1169号 判決

主文

一  被告は、原告米田福士に対し、金四六七八万八四八四円、原告米田一十三、同米田英美、同米田綾、同米田厚一に対し、各金一一七二万二一二一円及びこれらに対する昭和六〇年七月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、原告米田福士において金一五〇〇万円、その余の原告らにおいて各金三五〇万円の担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告米田福士に対し、七一九八万八八五七円、原告米田一十三、同米田英美、同米田綾、同米田厚一に対し、各一七〇二万四七一四円及びこれらに対する昭和六〇年七月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

(一)  原告米田福士(以下「原告福士」といい、原告らについては名前のみ表示する。)は、亡米田厚子(以下「厚子」という。)の夫であり、原告一十三、同英美、同綾、同厚一は、原告福士と厚子との間の子(第一子ないし第四子)である。

(二)  厚子は、昭和六〇年七月二八日、被告の経営する医院において第四子である原告厚一の出産に際し、大量の出血のため死亡した。

2(本件損害の発生)

(一)  厚子は、第四子を妊娠したため、昭和六〇年一月七日に被告の診察を受け、以後、定期的に検診を受け異常なく経過してきたところ、同年七月二八日午前八時頃、破水があったので、電話で被告の指示を受け、同日午後一時二〇分頃、原告福士を伴って被告の経営する医院に入院した。

(二)  被告は、付添いの原告福士に対し、「普通の破水は、子宮の下部からするのだが、奥さんの場合、上部からしているので、すぐにお産させないといけない。出産予定は午後六時頃である。」と説明した。

原告福士が、「母子とも異常ないでしょうか。」と聞くと、被告は、「その点は大丈夫です。」と答えた。

(三)  その後、厚子は、陣痛促進剤を与えられ、午後二時頃陣痛が始まり、午後三時〇四分に原告厚一を出産した。

(四)  それから、被告は、原告福士に対し、「赤ん坊が早く出て来すぎたので、子宮の入り口が破れ、そこから出血しているので、今縫合しているところだ。」と説明した。原告福士が「大丈夫ですか。」と聞くと、「大丈夫でしょう。」と答えた。

(五)  午後三時四〇分から五〇分頃、看護婦から、「今縫合が終わって出血も止まったので、もう大丈夫です。普通の状態より時間がかかるので病室に戻るのは六時頃になる。」と言われたので、原告福士は、子供達を実家へ連れて行った。

(六)  実家へ着くと、「すぐに病院に来てほしい。」との連絡があったとのことで、午後六時五〇分頃病院に着くと、厚子は既に死亡していた。

(七)  死亡診断書によれば、厚子の死亡時刻は、午後六時二〇分、直接死因は、分娩後の大出血、大出血の原因は、弛緩出血、子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷となっている。厚子の死因は、死亡診断書記載のとおりである。

3(責任)

(一)  陣痛誘発上の過失

(1) 直ちに陣痛誘発する必然性はなかった。

〈1〉 厚子は、午前八時頃から破水感があるため、午後一時二〇分頃入院し、被告は、直ちにプロスタルモンE錠を二錠服用させ、マイリス(頚管熟化ホルモン剤)一〇〇mgを静脈注射して陣痛誘発しているが、前期破水の場合、破水が起これば早晩自然陣痛が発来するのが原則であり、一二時間くらいの間に自然陣痛が来て分娩が終了することが期待できるし、それが望ましいから、自然の陣痛発来を期待して経過をみればよく、直ちに陣痛誘発する必要はなかった。

〈2〉 本件では、陣痛誘発による急速分娩が原因となって、厚子は、その後の子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷、弛緩出血による大量出血を起こして死亡したと考えられることからも、急いで陣痛誘発を図らなければ、大量出血による死亡は避けられたものである。

(2) プロスタルモンE錠を一度に二錠使用した過失

〈1〉 プロスタルモンE錠は陣痛誘発剤であり、陣痛を誘発し陣痛を強くする作用があるものであり、陣痛が強くなると、その子宮収縮のため内因性(子宮から)のプロスタグランジンが大量に分泌される。

プロスタルモンE錠の内服は、点滴注射に比べて調節性に欠け、一旦、過強陣痛を起こすと取返しがつかなくなるので、仮に誘発する場合でも、点滴による誘発の方が好ましく、また内服にする場合、添付文書の用法、用量(一回一錠を一時間毎に六回、一日総量六錠)に従うべきであり、添付文書の用法、用量に反して一度に二錠使用したことは重大な過失である。

厚子は、四回目の経産婦であり、陣痛も来やすく分娩もスムーズに行くはずであるから、その点からも一度に二錠も飲ませるべきではなかった。

〈2〉 プロスタルモンE錠を二錠一度に使用したため、その後、初めから過強陣痛が来て、プロスタグランジンの分泌(産生プロスタグランジン)も大量となり、さらに厚子が四回目の経産婦で分娩しやすい状態であったため、陣痛開始から約一時間で急速分娩(急産)し、そのため分娩時に頚管裂傷、子宮下部裂傷を起こし、さらに分娩後、弛緩出血を起こしたのである。

(3) 分娩誘発する場合の監視義務違反及び急速分娩や弛緩出血に対する予防処置や準備上の過失

〈1〉 分娩誘発する場合、胎児心音や陣痛強度の監視が必要であり、胎児仮死や母体の出血に対し即応できる準備が必要である。

〈2〉 被告医院では、陣痛開始後、強い陣痛が来て、産婦が力まざるを得ないような状態だったにもかかわらず、陣痛開始から分娩まで陣痛強度の監視が十分なされておらず、陣痛に関する記録は全くない。

このことから、分娩監視が不十分であり、さらに急速分娩や弛緩出血に対する予防措置や準備が不十分であった過失が考えられる。

(二)  子宮下部裂傷に対して経腟的に縫合した過失

(1) 子宮下部裂傷について、裂傷の上限が確認できれば経腟的な縫合で十分であるが、内子宮口を越す場合、確実な縫合が困難であり、開腹の上、子宮を単純全摘すべきである。

(2) 本件では、午後四時一〇分頃の大出血の原因が子宮下部裂傷縫合後の持続性出血(子宮腔内への)であった可能性があり、その場合、それは、子宮下部裂傷に対する縫合が不十分であったことによる。

子宮下部裂傷だと診断しながら、経腟的にしか縫合しなかったのは、重大な過失である。

(3) 子宮下部裂傷が三時、九時の方向にある場合には、子宮不全裂傷、広靭帯出血が起こる恐れがあるので、双合診により子宮外の腹腔内出血の有無を確認する必要があるところ、被告がこのような双合診をして内出血の有無を確認していないことも重大な過失である。

(三)  大出血に対する治療、処置上の過失

(1) 止血処置上の過失

〈1〉 応援の医師正岡は、出血を弛緩出血であると判断した後、圧迫止血のためガーゼタンポンを五枚使用して圧迫止血した。

〈2〉 しかし、弛緩出血に対する圧迫止血の目的のためには、ガーゼタンポン五枚ではその目的には何の役にも立たない。弛緩出血に対する圧迫止血のためには少なくとも二〇枚程度は使用すべきであり、五枚しか使用しなかったのは不十分であり、過失がある。

〈3〉 医師正岡が駆けつける午後五時頃まで、被告自身がガーゼタンポンによる圧迫止血をしていなかったことも重大な過失であり、また、医師正岡は、被告の依頼で応援に駆けつけたのであるから、医師正岡の処置については被告が責任を負担すべきである。

(2) 輸液、子宮収縮剤使用上の過失

〈1〉 再出血後の子宮収縮剤の使用は、医師正岡が到着してから後はなされていないようであるが、その後も持続的に使用すべきであった。

〈2〉 点滴による輸液も、二連球を使用して加圧して急速に行うべきであった。

点滴は、片腕と両下肢から輸血を始めた時点から、輸液のための点滴は外されており、したがって午後五時頃以降は輸液はされておらず、点滴の瓶の中に入れられていた子宮収縮剤もその後は厚子の体内に入っていないのであるから、輸液も不十分であった。

(3) 輸血上の過失

〈1〉 再出血後、三〇分位で一五〇〇ml位の大量出血があり、その後も出血が止まらなかった。

分娩後、頚管裂傷、子宮下部裂傷により八〇〇ml出血しており、午後四時四〇分頃までに確認されたものだけでも合計二三〇〇mlもの大量出血があり、その後も出血は止まらなかったにもかかわらず、輸血量は八〇〇ないし一二〇〇ml程度であり、輸血量が絶対的に少なかった。

大量出血に対しては、それに見合った量の輸血が必要であり、もっと大量に急速加圧輸血すべきであったのに、輸血量が少なすぎたことは死亡の重大な原因となっていると考えられるから、輸血量が少なすぎたことは重大な過失である。

〈2〉 輸血の方法は、両下肢と片腕の三箇所から通常の点滴で輸血された。この通常の点滴での輸血方法によると、一パック(二〇〇ml)を輸血するのに約三〇分かかり、大量出血を補うのに間に合わない。

したがって、二連球による急速大量輸血が必要なのであり、急速輸血をしなかったために、結局、死亡までの輸血量も出血量に比べて少なすぎ、そのため出血死、出血性ショックないし急性心不全により死亡した。

被告が大量緊急輸血をしなかったことは重大な過失である。

(4) 全身状態の観察、記録不十分

〈1〉 大出血の患者に対しては、血圧、脈拍、呼吸状態、尿量等のバイタルサイン及び子宮の収縮状態の頻繁な観察、記録のほか、出血量の頻繁な測定、輸液、輸血の交換時刻と量、投与薬剤の名称、量、投与方法、投与時刻を頻繁に観察、測定し、記録することが必要である。

〈2〉 被告のカルテ、看護記録、分娩経過表によると、血圧は午後四時四〇分頃までしか記録されておらず、その後、死亡までの血圧測定が全くなされていない。

脈拍も呼吸数も尿量も記録されておらず、子宮の収縮状態の記録もない。

さらに、出血量の頻繁な測定も、輸液や輸血の交換時刻や量も、薬剤の投与時刻や意識状態の記録も全くない。

このように、大出血した厚子に対する全身状態の観察、記録は極めて不十分で杜撰である。

〈3〉 右のように厚子の全身状態の把握が不十分であれば、それに対する処置も不十分、不適切なものにならざるを得ず、記録の杜撰さは治療、処置の杜撰さをも推測させる。

(5) 導尿をしていなかったことの過失

分娩後一ないし二時間経過してからの弛緩出血の原因は、大部分が膀胱の充満によるものであり、弛緩出血例では導尿することが大切であるから、導尿しなかったことも過失である。

(6) 開腹、子宮全摘手術を敢行しなかった過失

〈1〉 最初の出血原因である子宮下部裂傷を縫合処置した時点で、子宮下部裂傷からの出血に対して慎重を期して、子宮全摘手術をしても良かった。

〈2〉 再出血後、大出血が一応収まった時点(午後四時四〇分頃)で、全摘手術を実行すべきであった。

〈3〉 被告は、全身状態の悪化をもって子宮全摘手術の実施に踏み切れなかった理由にしているが、出血が止まらない限り死亡に至るのは必然であるから、手術中に死亡する危険があっても、緊急に開腹、子宮全摘手術をなすべきであった。

この場合、緊急を要するのは、開腹して子宮動脈を挟鉗し止血する処置までで、こうして一応止血した後、全身状態改善の努力をし、改善をみてから子宮の全摘手術を実施すればよい。

(7) 転送義務違反

被告医院の近くには、県立広島病院があるのであるから、再出血後、一応大出血がおさまった午後四時四〇分頃以降に、緊急に転送すべきであった。

(四)  厚子は、被告医院に入院して出産するに当たって、被告との間で、被告において産婦人科医師として善良なる管理者の注意義務を尽くして診察、分娩の介護に当たり、分娩後の異常に対しても適切な処置を取るべき旨の医療契約を締結した。被告の以上の所為は、善良なる管理者の注意義務に違反する。

また、被告の右所為は、不法行為にも該当する。

原告らは、右の各責任に基づく損害賠償請求権を選択的に主張する。

4(損害)

(一)  逸失利益 一億〇四一九万七七一三円

(1) 厚子は、ぱちんこ店の代表者であり、原告福士と協同でぱちんこ店を営み、昭和五七年から昭和五九年の確定申告所得の平均年収は七三四万一七四五円であった。

(2) 厚子は、死亡当時三一歳であったから、就労可能年数は三六年であり、そのホフマン係数は二〇・〇七五である。

(3) 生活費控除割合は三割とする。

(4) 逸失利益は一億〇四一九万七七一五円となるところ、原告福士は夫として二分の一、その余の原告らは子として各八分の一を相続した。

(二)  慰藉料 二〇〇〇万円

原告一十三ら四人の子は、現在上が一二歳、下が三歳で、母親の愛情を一番必要としている時期であるが、原告福士が母や弟夫婦の援助を得ながらなんとか養育している。

母親や妻を亡くした原告らの淋しさ、不自由さ、無念さは察するに余りあり、金銭をもって慰藉し得るものではないが、妻を亡くした原告福士に対しては一〇〇〇万円、幼くして母親を亡くした子であるその余の原告らに対しては各二五〇万円をもって慰藉するのが相当である。

(三)  墳墓葬祭費 三八九万円

原告福士は、厚子の墳墓費、葬式費用として三八九万円を支出した。

(四)  弁護士費用 一二〇〇万円

被告の負担すべき弁護士費用としては、本訴請求の一割弱にあたる一二〇〇万円(原告福士六〇〇万円、その余の原告ら各一五〇万円)が相当である。

(五)  以上を計算すると、原告福士の請求額は七一九八万八八五七円、その余の原告らの請求額は各一七〇二万四七一四円となる。

5(結論)

よって、被告は、原告福士に対して七一九八万八八五七円、その余の原告らに対しては各一七〇二万四七一四円及びこれらに対する不法行為の日である昭和六〇年七月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告らは、被告に対し、右義務を履行することを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)及び(二)の各事実は認める。

2  同2の(一)ないし(七)の各事実は認める。但し、同(二)の事実のうち、被告が原告福士に対し、出産予定は午後六時頃であると説明したことは否認する。

3  同3の事実はいずれも否認する。

(一)(1) 同3の(一)の(1)は否認する。前期破水の後は、感染の危険を避けるため分娩誘発することは医学的適応があるし、本件における事実関係のもとでは、誘発剤使用の是非はもっぱら医師の裁量の範囲内にある。

前期破水の場合、分娩経過において胎胞が早期に破れ、その持続が長くなれば羊水感染の頻度が高まり、子宮頚部における血液循環が障害されるから子宮口唇、腟壁は浮腫状に腫脹し、暗紫色を呈するようになり、あるいはその他柔産道の損傷も著しいことがあるから、創傷感染の危険も生じる。加えて、胎児に関する危険はさらに大きく、卵膜が破れ羊水が流出すると、腟内の雑菌などが羊水中に混入し、胎児感染を起こすことがあるほか、早期の破水によって羊水が洩出し、胎児表面が子宮壁に密接すると陣痛発作時に臍帯及び胎盤が圧迫されて血行障害を来し、胎児仮死あるいは胎児死亡となることがある。また、感染症の合併は予後を決定づける。

厚子の入院診察時、前期破水があったとの所見の他、厚子は既に妊娠三七週であって正期産の時期に入っており、しかも子宮口二指開大、子宮頚管も柔らかくなっていたことも誘発の一理由であった。

(2) 同3の(一)の(2)のうち、被告が、厚子に対し、プロスタルモンE錠を二錠一度に使用したことは認める。

プロスタルモンE錠の添付文書にある投与量は、この薬の効能と副作用の厳しいぎりぎりの限界を決めているものとは考えられない。誤って一錠のところを二錠使用したときにおいても弊害の生じない幅、範囲があるのは当然の理であり、安全性の比較的大きな幅の中で決められているものである。薬剤の投与量を僅か一度超えたからといって、それ自体が過失とされ、その後の経過に対する因果関係を肯認されるべきものではない。

(3) 同3の(一)の(3)のうち、誘発剤使用に当たって胎児心音や陣痛経過についての監視が必要であることは、原告ら主張のとおりである。

しかし、山本助産婦は、午後二時一〇分、午後二時三〇分、午後二時五〇分と二〇分おきに胎児心音聴取と陣痛状態の確認を行ったし、陣痛状態は、午後二時五〇分には、午後二時一〇分と比べて間欠短く陣痛が強くなってきたので、午後二時五五分、被告の診察が行われ、分娩室へ移されたのであるから、分娩経過の監視が不十分であったとはいえない。本件での分娩は、比較的早い分娩であったが、この事実と分娩監視との間には因果関係はなく、急速分娩に対する予防措置や準備不十分という問題はない。

(二) 同3の(二)の(2)及び(3)は否認する。被告は、出血部位の確認を行った時、子宮頚管に三時と九時の方向に裂傷があることが分かり、その裂傷のうち三時の方向のものが子宮頚部の深い部分にまで及んでいたので、後刻、カルテに記載する際、子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷と記載したが、後者は、解剖学的にいう子宮体部の下方部を意味するものではなく、子宮頚部の深い部分までの裂傷という意味である。被告は、右のいずれの子宮頚管裂傷に対しても診断及び縫合処置は果たしており、しかも、応援の医師正岡も裂傷部及び縫合部の確認と、念のため再縫合を施行しているのであり、縫合不全ということはあり得ない。

(三)(1) 同3の(三)の(1)ないし(3)は否認する。被告は、被告の主張において述べるとおり適切な治療処置を行った。

(2) 同3の(三)の(6)、(7)は否認する。子宮全摘手術をとるべきであるとか、設備のある病院に転医措置をとるべきであるとかいうのは、結果的に理屈をいうにすぎず、本件のように午後四時三〇分頃の再出血以降死亡までの出血量は一五〇〇ml程度であり、突発性の子宮弛緩による大出血により出血性ショックの急激な経過をたどった場合には全く妥当しない。再出血から死亡までの期間は、時間的にも出血量からも経過は急激であり、一方とるべき輸血等の措置もなされているのであって、被告には過失はなかった。

(四) 同3の(四)は争う。

4  同4の(一)ないし(四)の各事実は否認する。

三  被告の主張

1  被告の診療の経過は、以下のとおりである。

(一) 昭和六〇年一月七日が初診日である。厚子は、妊娠第八週にあったが、異常所見はなかった。以後、定期的な検診のため来院したが、異常なく経過した。

(二) 同年七月二八日昼過ぎ頃、厚子は、被告に対し、午前八時頃破水したようだと電話で連絡して来たので、被告は、入院を指示した。

(三) 同日午後一時二〇分入院した。入院時の診察によると、子宮口二指開大、子宮頚管は軟らかい。羊水流出があるが、羊水混濁なし。胎児心音は良好。陣痛なし。前期破水である。被告は、治療処置として、グリセリン浣腸、陣痛誘発剤プロスタルモンE錠を二錠投与した。二〇%ブドウ糖二〇ml、マイリス一〇〇mgを静注したほか、破水による感染予防のため抗生物質セフメタゾン一gを静注した。

(四) 同日午後二時一〇分頃、陣痛開始。午後二時四〇分頃、内診。子宮口三指半開大。子宮腟部展退。本格的な陣痛あり。午後二時五六分頃、子宮口全開大。午後三時〇四分、男児(原告厚一)娩出。子宮収縮剤メテナリン静注。

(五) 午後三時〇八分、胎盤娩出。直ちに氷嚢を当てる。子宮収縮剤プロスタルモンF五〇静注。プロスタルモンF一〇〇〇一アンプル(以下、アンプルを「A」と表記する。)を子宮筋に注射。

分娩直後から出血が多く、内診の結果、三時と九時の方向に子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷を確認した。

午後三時一〇分頃、裂傷部縫合開始。同時に輸液開始。電解質ポタコールR五〇〇ml、ビタミン(以下「V」と表記する。)B1カルボキシン二〇mg、VB2フラニンH一〇mg、VB6ビタロキシン三〇mg、VC・CVM二〇ml、止血剤チチナ二〇ml二A、血液代用剤低分子デキストランL二五〇ml。

その後も、輸液続行、ポタコールR五〇〇ml、止血剤チチナ二〇ml二A、抗生剤セフメタゾン一g、低分子デキストランL二五〇ml。

午後四時頃、縫合終了。血圧は一〇四-六八。

午後四時一〇分、子宮底臍下四指収縮良好。出血量は普通程度で少ない。これまでの出血量は約八〇〇ml。

家族と厚子との面会をさせる。

(六) 午後四時三〇分、再出血。看護婦植本小百合は、直ちに被告に連絡した。被告は、直ちに診察し、暗赤色の凝血を認め、子宮底上昇、子宮軟らかく増大しており、子宮収縮不良と認めた。

直ちに、広島県赤十字血液センターに対し、保存血A型一〇〇〇mlの注文をなし(後刻、一〇〇〇mlの追加注文をした。)、子宮体マッサージ、双手圧迫法施行、氷嚢を当てた。一方、医師正岡の応援を求めた。

被告は内診の結果、凝血を除去した。裂傷・縫合部の出血は少ない。弛緩出血と診断した。血圧一一八-七〇。脈拍は九〇。意識はしっかりしているが、出血は断続的である。

再出血後、直ちに、収縮剤プロスタルモンF一〇〇〇一Aを再び子宮筋に注射したほか、収縮剤メテナリン静注、収縮剤チトロゲン管注、ウテロスパン筋注、血液凝固促進・止血作用剤フィブリノーゲン二g点滴。輸液続行。ポタコールR五〇〇ml、ハイドロコートン五〇〇mg、チチナ二〇ml二A、低分子デキストランL二五〇ml。同時に酸素吸入開始。

午後五時頃、医師正岡来院後、直ちに被告と両名で、出血部位の再確認をし、弛緩出血と診断した。その際、医師正岡は、子宮頚部横付近に血腫がないことも確認した。しかし、念のため裂傷縫合部の再縫合をし、ガーゼタンポンの挿入をした。血圧は九〇-六〇。

この頃、両足及び腕の三か所から輸血を開始した。再出血から三〇分間位の間に約一五〇〇mlの出血量。昇圧剤カルニゲン一A注射。

午後五時一五分頃、顔面蒼白。血圧七〇-五〇と降下し、呼吸浅く、早く頻脈を呈し、反射機能も鈍く、ショック症状を呈してきた。昇圧剤カルニゲン一A注射。この頃、医師正岡とともに子宮全摘手術の施行を協議したが、厚子の状態は悪く、手術不能と考え、止血及びショックの改善に全力を尽くすこととした。

午後五時三〇分頃から、意識が薄れ、脈も触れ難く、血圧測定するも測定不能となった。

午後五時四〇分頃、意識は失われ、脈触れ難く、血圧測定不能。心音弱いが、聴取できる。強心剤ビタカンファ、テラプチク注射。

午後六時過ぎ頃、心音聴取不能。心臓マッサージを続ける。

午後六時二〇分、心拍動停止。呼吸停止。瞳孔散大。死亡す。

2  以上に述べたとおり、分娩後出血が多く、内診の結果、子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷を確認し、縫合を終え、一時は出血も少なく、子宮収縮も良好とみられたが、直後、再出血となり、内診によると、子宮は柔軟でかつ増大しており、子宮底の上昇を認め、子宮底を圧迫すると大量の凝血を認め、その後も断続的に暗赤色の出血があり、子宮収縮不良を認めた。

弛緩出血は、事前に予測することはできず、被告は手を尽くしたにもかかわらず厚子は死亡したのである。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張事実は争う。但し、厚子の入院直後頃、被告が厚子に対し、プロスタルモンE錠を一度に二錠投与したことは認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1の(一)及び(二)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  請求原因2の(一)ないし(七)の各事実は、(二)の事実のうちの、被告が原告福士に対し「出産予定は午後六時頃である。」と説明したとの点を除いて、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、厚子が入院した直後の午後一時三〇分頃、被告は、原告福士に対し、厚子の出産予定時刻は午後六時頃になるであろうとの見通しを説明したことが認められ(〈書証番号略〉中の「午後12:30頃」との記載は、午後一時三〇分頃の誤りであると考えられる。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  厚子が請求原因2の(一)のとおり入院した後における治療経過等について検討するのに、〈証拠〉を総合すると、以下のとおり認められ、この認定に反する〈証拠〉は信用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  昭和六〇年一月七日の初診日、厚子は妊娠第八週であり、分娩予定日は、同年八月一七日であった。

厚子は、同年七月二八日午後一時二〇分頃入院した。当時、厚子は妊娠第三七週(正期産の時期)であった。入院時の診察によると、子宮口二指開大、子宮頚管は軟らかい。羊水流出があるが、羊水混濁なし。胎児心音は良好。陣痛なし。前期破水であった。

被告は、治療処置として、グリセリン浣腸、陣痛誘発剤プロスタルモンE錠二錠を投与し、二〇%ブドウ糖二〇ml、マイリス一〇〇mg二Aを静注したほか、破水による感染予防のため抗生物質セフメタゾン一gを静注した。

2  午後二時一〇分頃、陣痛開始。午後二時四〇分頃、内診。子宮口三指半開大。子宮腟部展退。本格的な陣痛あり。午後二時五六分頃、子宮口全開大。この頃から午後三時頃にかけて、二度にわたって、いきまないよう注意されたが、陣痛が強かったため、いきまざるを得なかった。午後三時〇四分、男児(原告厚一)娩出。

3  午後三時〇八分、胎盤娩出。直ちに氷嚢を当てる。子宮収縮剤プロスタルモンF五〇とメテナリンを静注(以上は、被告は、正常の出産でも全例につき行っている。)。さらに、子宮収縮剤プロスタルモンF一〇〇〇一Aを子宮筋に注射。

分娩直後から持続的な鮮紅色の出血が多く、内診の結果、三時と九時の方向に子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷(但し、実体は子宮頚管裂傷の深いものであったが、子宮下部にわずかに達するように見えたので、カルテ上、子宮下部裂傷と記載した。)を確認した。

午後三時一〇分頃、裂傷部の縫合開始。同時に輸液開始。電解質ポタコールR五〇〇ml、VB1カルボキシン二〇mg、VB2フラニンH一〇mg、VB6ビタロキシン三〇mg、VC・CVM二〇ml、止血剤チチナ二〇ml二A、血液代用剤低分子デキストランL二五〇ml。

その後も、輸液続行。ポタコールR五〇〇ml、止血剤チチナ二〇ml二A、抗生剤セフメタゾン二g、低分子デキストランL二五〇ml。

午後三時四〇分頃、縫合終了。右縫合終了までの出血量は約八〇〇ml。血圧は一〇四-六八。子宮底臍下四指収縮良好。出血量は普通程度で少ない。

それから、家族と厚子との面会をさせる。

4  午後四時一〇分頃、再出血。看護婦植本小百合は、直ちに被告に連絡した。被告は、直ちに診察し、相当量の暗赤色の凝血の出血を認め、子宮底上昇、子宮軟らかく増大しており、子宮収縮不良と認めた。

被告は、内診の結果、凝血を除去した。裂傷・縫合部の出血はない。弛緩出血と診断した。血圧一一八-七〇。脈拍は九〇近い。意識はしっかりしているが、出血は断続的である。再出血直後、酸素吸入開始。

再出血後、直後から午後五時過ぎ頃までに、収縮剤プロスタルモンF一〇〇〇一Aを再び子宮筋に注射したほか、収縮剤メテナリン静注、収縮剤チトロゲン管注、ウテロスパン筋注、血液凝固促進・止血作用剤フィブリノーゲン二g点滴。輸液続行。ポタコールR五〇〇ml、ハイドロコートン五〇〇mg、チチナ二〇ml二A、低分子デキストランL二五〇ml。

午後四時三〇分頃、広島県赤十字血液センターに対し、保存血A型一〇〇〇mlの注文をなし(後刻、一〇〇〇mlの追加注文をした。)、子宮体マッサージ、双手圧迫法施行、再度新しく氷嚢を当てた。一方、医師正岡の応援を求めた。

午後五時一五分頃、医師正岡が来院。その時の厚子の全身状態はかなり重篤であった(顔色は少し青白く、脈はやや弱く、頻数で速く、声は出さないが、呼掛けには首を振って反応するという状態で、意識は正常と比べると随分鈍く、医師正岡は、突発的な乏血ショックから二次ショックに移行する過程と把握した。)。医師正岡は、直ちに被告と両名で出血部位の再確認をし、弛緩出血と診断した。しかし、念のため、裂傷縫合部の再縫合をし、五枚位連結したガーゼタンポンの挿入をした。双手圧迫もした。

その後、腕及び両足の三か所から輸血を開始した。腕からの輸血は、それまで行っていた輸液の針を利用し、輸液の瓶を輸血用血液の瓶に切り換えたものである(したがって、輸液は、使用しようとしたのは総量二二五〇mlであるけれども、最後の瓶の途中で輸血用血液の瓶と切り換えたため、厚子の体にはその時点での残存量分だけ入っておらず、厚子の体内に入った総量は二〇〇〇ml近くにすぎない。)。両足からの輸血は、普通に両足の血管に注射の針を射し入れ、通常の点滴方法で行った。前期縫合が終わってから約三〇分間に約一五〇〇mlの出血があった。その後も出血は、従前よりも勢いは衰えたけれども、続いていた。昇圧効果もある強心剤カルニゲン一A注射。

その後(午後五時一五分過ぎ頃)、顔面蒼白となり、呼吸浅く、ショック症状が悪化してきた。カルニゲン一A注射。

輸血開始の前後頃、医師正岡とともに子宮全摘手術の施行を協議したが、厚子の状態は悪く、手術不能と考え、止血及びショックの改善に全力を尽くすこととした。

午後五時三〇分ないし四〇分以降、意識が薄れ始め、脈も触れ難くなり、血圧測定するも測定不能となった。強心剤ビタカンファ、テラプチク注射。

午後六時過ぎ頃、心音聴取不能。心臓マッサージを続ける。

午後六時二〇分、心拍停止。呼吸停止。瞳孔散大。死亡す。死亡までに、厚子の体内に入った輸血量は、約一二〇〇mlである。

四  〈証拠〉によれば、前期破水、過強陣痛、子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷、弛緩出血などについての医学上の知見として、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  前期破水とは、陣痛発来前に起こる破水のことであるが、感染が起こらなければ、母子とも予後は良好である。前期破水が起こったときは、先ず児心音を聴取し、直ちに内外診により児先進部と骨盤の間に不均衡がないか、臍帯及び上肢の脱出がないか否かを確認する。さらに羊水混濁の有無を検査する。

羊水漏出が持続しないときは、入院安静のうえ、発熱もなく胎児の状態が良ければ経過をみる。但し、羊水感染を防止するために、腟内細菌の感受性検査をし、これに応じた予防的化学療法を行う。放置すると、二四時間後には組織学的に感染が認められるから、いたずらに待機的療法に頼っていてはならない。羊水漏出持続の際には、漏出防止、陣痛催起をかねてコルポイリーゼ、メトロイリーゼを行い、場合によりオキシトシン、プロスタグランジンにより陣痛誘発を行い、児頭の陥入をはかる。

前期破水により、母体や胎児に危険の生じる可能性があることは、請求原因3の(一)の(1)に対する認否において被告が主張するとおりである。

しかし、前期破水と感染に関し、子宮内感染は前期破水後の破水期間が一二時間以内は二・七%、一二時間から二四時間以内は六・三%、二四時間以上は二六・四%とする報告がある。また、正期産前期破水では、破水後二四時間未満に五二%が分娩になり感染の機会が少ない(早産の場合には、二四時間未満では三八%、四八時間未満で七二%と正期産時に比べて、時間がかかり感染の機会も多くなる。)との報告もある。羊膜炎の診断(前期破水後に細菌の上昇により羊膜炎の起こり得ることは想像に難くない。)に関する症状とともに胎児心拍に持続性頻脈があらわれると胎児感染を考えなければならない。

2  過強陣痛とは、陣痛発作時の子宮収縮が異常に強く、持続も異常に長く、周期も異常に短いが、規則的に反復されるものをいう。過強陣痛は、陣痛促進剤の濫用(陣痛促進法の濫用、陣痛促進剤の過量投与又は誤用などが原因となって、陣痛は異常に増進する。特に子宮下部は陣痛促進剤には敏感であるといわれる。)、産道抵抗の過大によるものが多い。

過強陣痛の症状として、陣痛は強く頻繁にあらわれる。過強陣痛が分娩早期に出現し、産道の抵抗が少ないときは、分娩経過はすこぶる迅速で、子宮口の開大も速く、破水、排臨、撥露はほとんど連続して起こり、急速に胎児を娩出する(これを急産という。急産には、分娩時間の短いものと娩出期の短いものとがあるが、分娩時間の異常に短いものは、経産婦では一時間以内と考えられる。)。過強陣痛が急産の原因になることは考えられる。

過強陣痛は、母体に苦痛を与え、児には胎盤循環の障害を起こす。過強陣痛が生じた場合で、陣痛の強さが産道の抵抗をしのぐときには、分娩は速やかに進行し、母体に対し、次のような障害を与える。すなわち、過強陣痛により軟産道が急速に伸展開大されるために、頚管、腟壁、会陰に裂傷を起こし、ときには骨盤底筋の裂傷あるいは外陰部に血腫をつくることがあり、また、分娩後急激な腹腔内圧の下降を起こして虚脱に陥ったり、急速分娩後に子宮弛緩症を起こし弛緩性出血に移行することも少なくない。

過強陣痛の招来が予期される場合は比較的少ない。その予防のため、陣痛促進剤の使用には十分の注意を要し、産道と児頭との間に不均衡がないことを確認したうえで陣痛促進を行うべきである。不均衡がある場合に、陣痛を無理に促進させると、過強陣痛となるからである。

3  子宮頚管裂傷とは、外子宮口から子宮下部の下端部に至るまでの大きな裂傷をいう。裂傷が子宮頚管だけにとどまらず子宮下部まで達しているものを子宮下部裂傷という。原因として、外子宮口が全開大をする前に、急激に頚管が開大されるときに起こる。過強陣痛、急速な分娩経過、骨盤位娩出術、子宮口全開大以前の吸引分娩などの場合にみられる。症状として、胎児が娩出されるまでは、頚管に裂傷が生じても、胎児体の圧迫により外出血はなく、娩出後に著名な新鮮赤色の外出血がみられる。

その治療は、止血と感染防止とが重要である。裂傷のうち大きく深いものは放置すると出血のため急性貧血に陥り失血死することがあるので、縫合して止血する必要がある。縫合のポイントは、最も高い部位を十分に縫合することであり、不十分な場合は、その縫合糸を牽引してさらにその上方を縫い、後退して出血している血管を逃さず結紮することである。裂傷が頚管を越えて子宮下部節に伸びている場合、腟式に処置することは不可能で緊急開腹手術を行って止血することが必要である。

4  弛緩出血とは、分娩第三期又はその直後に子宮筋の収縮不全、すなわち子宮弛緩症に起因する強出血をいうと定義されている。後産期においては、胎盤剥離直後に起こる子宮筋の強い収縮及び退縮により胎盤剥離部の断裂血管や子宮静脈洞が圧迫閉鎖されることにより大量の出血をみることなく分娩は終了する。この胎盤娩出後の子宮筋の収縮及び退縮が不良なものを子宮弛緩症という。本症は、全分娩の約一〇パーセントにみられるといわれ、日常臨床において稀なものではない。不適切な陣痛誘発、陣痛促進剤の濫用なども弛緩出血の原因と考えられている。

弛緩出血は、子宮の収縮不良のために、胎盤や卵膜の剥離面から起こる出血なので、胎盤娩出後に始まり、静脈血が大部分となり、少し黒味を帯びた静脈血の色を示す。そして、出血はいったん収縮の悪くなった子宮内にたまり、少し一部が凝結しかかった状態で出血することが多いので、一定時間ごとに、凝血を少し加えた静脈血色をした血液が、どっと出血していったん止まり、また一定時間後に出血するといった子宮収縮の不良状態に合わせた間欠的な出血となることがほとんどである。

弛緩出血の治療の大要は、大量出血に対する全身的治療と子宮弛緩症そのものに対する処置である。後者のうち胎盤娩出後における処置としては、双手圧迫法(腟内に一手をいれて子宮頚部を前後につかむようにし、他手で腹壁上から子宮底をつかみ、両手で協調して子宮を圧迫摩擦する方法)の実施、子宮収縮剤の投与、子宮腟強填タンポン法(子宮腟及び腟腔内に滅菌したガーゼを挿入して強填タンポンを行う方法)等の保存的方法がある。以上の保存的方法で効果がないときは、最後的手段として観血的方法をとる。この場合は、とくに輸血を十分に行い全身状態を改善してから実施する必要がある。観血的方法としては、子宮摘出、子宮の輸入血管の結紮などがある。

5  出血性ショックに対する治療として、輸液、輸血が必要である。ショックの初期療法では、直ちに代用血漿剤や保存血で始めるよりは、まず乳酸加リンゲル液などで行われるのが一般的である。この方法は、出血量が一〇〇〇ml以下のような比較的軽度のショックにおいて右補液剤のみで用いられるか、あるいは輸血までのつなぎに用いられるものである。

輸血の場合、その量の決定は一般的にはむずかしいが、差し当たっての輸血量は、正常血圧まで回復し、その血圧を維持できる量を一応の目標とする。輸血量を決める方法として、出血量による方法(出血量を参考にして、出血量の測定値の一・二ないし一・五倍量を輸血する。)、血圧を主とした臨床症状による方法(血圧とショックの重症度とは相関し、かつ、出血量と平行するから、血圧を測定しながら輸血量を増加していき、臨床症状の回復をみていく。)などがある。

大出血の患者に対しては、請求原因3の(三)の(4)の〈1〉のような観察、記録が必要である。

五  以上の事実関係に基づき、被告の責任について検討する。

1  陣痛誘発上の過失

(一)  陣痛誘発の必要性(請求原因3の(一)の(1))について

前期破水のすべての場合に分娩・陣痛誘発の適応があるとはいい得ないこと、及び前期破水の場合の普通の処置は、四の1で述べたとおりであるところ、本件では、厚子に羊水漏出が持続していたか否かは、これを的確に認めるに足りる証拠がない(仮に、羊水漏出が持続していたとしても、そのすべての場合に当然誘発の適応があるとはいえない。)。本件においては、厚子の入院時、羊水流出はあるが羊水混濁はなく、胎児心音は良好で、陣痛はなかったこと、破水による感染予防のため抗生物質セフメタゾン一gの静注がなされたことは前記認定のとおりである。

また、陣痛促進剤の濫用は過強陣痛の原因となり得ることは、四の2で述べたとおりである。

ところで、陣痛誘発に関し、被告本人尋問の結果中には、陣痛がなかったから陣痛誘発という意味でプロスタルモンE錠を投与した旨の供述部分があり、証人瀬戸紀守の証言中には、本件において被告が陣痛を誘発したことは、感染の恐れを考慮すると無理なものではない旨の証言部分がある。

しかし、(1)正期産前期破水では比較的に感染の機会は少なく、前期破水の開始時点からの経過時間が短い場合はなお感染の危険性は低いことは前述のとおりであるが、厚子の前期破水時刻は午前八時頃であるから誘発剤の投与時点まで約五時間半しか経過していなかった。(2)感染の危険を具体的に窺うような症状が発生したことを認めるに足りる証拠はない(むしろ、羊水混濁はなく、胎児心音は良好であったから、感染の兆候はなかった。羊膜炎に関する症状があったことを窺う証拠はない。)。また、被告において、羊水感染を防止するために、腟内細菌の感受性検査をし、これに応じた予防的化学療法を行ったこと、産道と児頭との間に不均衡がないことを確認したことは、いずれもこれを認めるに足りる証拠はない。(3)既に感染予防のため抗生物質の静注がなされている。以上に照らすと、感染予防の観点のみから陣痛促進をなすべき必要があったものとは認め難く、その他に午後一時二〇分頃の時点で陣痛を誘発すべき必要性があったことを認めるに足りる証拠はない。

〈証拠〉を参酌すると、右の状況のもとでは、分娩誘発剤を使用すべき格別の必要性はなかったのであるから、誘発剤のもたらすことのある危険性に思いを致し、厚子が四回目の出産であることをも考慮に入れて、安静を指示して自然陣痛の発来を待つべきであったものと認められる。陣痛誘発剤の使用は被告医師の裁量の範囲内であるとの主張は、採用することができない。

(二)  プロスタルモンE錠を一度に二錠使用した過失(請求原因3の(一)の(2))について

被告が厚子に対しプロスタルモンE錠を二錠一度に投与し、これを厚子が服用したことは前述のとおりである。

〈証拠〉によれば、プロスタルモンE錠の能書には、プロスタグランジンE2(一般名ジノプロストン)は、自然分娩発来機序と密接な関連を有し、子宮頚管熟化作用及び生理的な子宮収縮作用が認められ、陣痛誘発並びに陣痛促進に効果が認められているものであること、プロスタルモンE錠は、一錠中にプロスタグランジンE2を〇・五mg含有する陣痛誘発促進剤であること、用法・用量は、「通常一回一錠を一時間毎に六回、一日総量六錠(ジノプロストンとして三mg)を一クールとし、経口投与する。」こと、使用上の一般的注意として、「本剤は点滴注射剤に比べ、調節性に欠けるので、原則として妊娠母体及び胎児の状態を常時監視できる条件下で使用すること」とし、「本剤投与開始後は子宮収縮の状態及び胎児心音の観察を行い、投与間隔を保つよう十分注意し、陣痛誘発効果、分娩進行効果を認めたときは投与を中止し、過量投与にならないように慎重に投与すること」が掲げられていること、副作用として、「ときに母体に過強陣痛(中略)をきたすことがあるので、観察を十分行い、このような症状があらわれた場合には、減量または投与を中止すること」と各記載されていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右能書の注意にもあるとおり、錠剤は点滴注射に比べ調節性に欠けるので、用法、用量の指示は忠実に守るべきである。プロスタルモンE錠を一度に二錠投与して一時間足らず後の午後二時一〇分頃陣痛が開始し、発来した陣痛は非常に強いものであり、午後三時〇四分男子(原告厚一)を娩出した(被告は、分娩は午後六時頃になると予測していたことは前述のとおりである。)。これは、過強陣痛による急速分娩といえる。

前記経緯に照らし、〈証拠〉を合わせ考えると、プロスタルモンE錠二錠の服用により、その効果として、午後二時一〇分頃陣痛が開始し、しかも過強陣痛が生じて急速分娩を引き起こし(右の服用が急速分娩の主たる原因と考えられる。)、急速分娩における胎児頭の急速な通過に際して子宮下部、子宮頚管に裂傷が生じ、さらに、過強陣痛、急速分娩が、胎盤娩出終了後、子宮筋の疲労をもたらしてその後の弛緩出血の大きな原因となったものと認めるのが相当である。したがって、プロスタルモンE錠の二錠の服用と、子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷、さらに、弛緩出血との間には相当因果関係が存在する。

もっとも、証人瀬戸紀守の証言中には、一錠中にプロスタグランジン〇・五mgを含有するプロスタルモンE錠を一度に二錠服用しても、その作用として胎児が娩出するのではない旨、プロスタルモンE錠はあくまでも本格的な分娩陣痛を誘発するためのマイルドな作用を行うものにすぎず、その誘発促進の効果として子宮から内因性のプロスタグランジンが大量に分泌されて分娩に至るのであるから、プロスタルモンE錠を一度に二錠服用しても直ちに急速分娩とは結びつかない旨の証言部分がある。そして、証人瀬戸紀守が証言において、同証言を裏付けるものとして示した文献(内容は、カリムが行った実験の報告)が乙第五、第六号証(〈証拠判断略〉)として提出されている。しかし、乙第五号証は一九七五年の文献であり、〈証拠〉によれば、プロスタルモンE錠の能書には、プロスタルモンE錠製剤の主要文献として一九七三年から一九八一年までの文献が掲げられており、証人瀬戸紀守の証言をも斟酌すると、プロスタルモンE錠の開発に当たっては乙第五号証の文献も参考にされたものと推認することができ、その上で、前記のとおりの用法、用量が定められたものと考えられる。そして、〈証拠〉によれば、陣痛誘発剤の効果は、人により感受性が異なり、また、分娩開始直前の時期によって反応は異なるものであることが認められるから、証人瀬戸紀守の証言や右乙第五、第六号証によっては、前記認定を左右することはできず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  監視義務違反など(請求原因3の(一)の(3))について

原告らが主張するように、分娩誘発をする場合、胎児心音や陣痛強度の監視が必要であることは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、本件において、陣痛開始後、強い陣痛が来て、厚子はいきまざるを得ないような状態が生じたこと、しかし、被告作成のカルテには、陣痛開始から分娩に至るまでの厚子の陣痛に関する記載はないことが認められる。

しかし、〈証拠〉によれば、厚子に関する看護日誌等のうちの分娩経過表には、助産婦山本万寿枝において、午後二時一〇分、午後二時三〇分、午後二時五〇分と二〇分置きに胎児心音の聴取と陣痛の周期、発作の確認を行いそれを記録していること、右分娩経過表等には、児出生時はアプガースコアは一〇点であるとの記載、陣痛状態に関しては、午後二時五〇分には、二〇分前と比べ間隔が短く強くなってきたので、午後二時五五分、被告の診察を受け、分娩室へ移したこと、先進部の卵膜が破れたらしく、いきまないように促したけれども厚子はいきみ、午後三時排臨、午後三時〇三分撥露、午後三時〇四分胎児娩出となったとの記載があることが認められる。

右認定のとおり、分娩経過表等には、陣痛の経緯の記載などがなされているから、カルテにその旨の記載がないことをもって、分娩監視が不十分であったとはいうことはできない。

のみならず、急速分娩に対する予防措置や準備が不十分であったとの過失については、急速分娩を生じさせた点(すなわち、陣痛誘発剤を多量に投与した点)に過失が求められることは前述のとおりであるけれども、現に生じた急速分娩に対する処置に格別の落ち度があったことは、これを認めるに足りる証拠がない。弛緩出血については、胎盤娩出後、直ちに氷嚢を当て、通常施す子宮収縮剤のほかに、プロスタルモンF一〇〇〇一Aを子宮筋に注射したことは前記認定のとおりであるから、一応の予防措置は講じたものというべきであって、原告らの主張するような過失があったものとは認め難い。

2  子宮下部裂傷に対して経腟的に縫合した過失について

(一)  請求原因3の(二)の(1)、(2)について検討する。子宮下部裂傷が内子宮口を越す場合、確実な縫合が困難であるから、開腹の上、子宮を全摘すべきであるとの主張については、本件においては、子宮下部裂傷とはいっても、実体は子宮頚管裂傷の深いもので、子宮下部にわずかに達する程度のものであったところ、被告の行った当初の子宮下部裂傷の縫合後、その上限付近の縫合が不十分なため、そこから出血が継続していたことを認めるに足りる証拠はない(大出血の後に縫合したとされる証人正岡吉則は、縫合部位を確認してみると、止血されていたけれども、念のために一番奥と一番手前とを一針ずつ縫合した旨証言している。)から、右の点に過失があったものということはできない。

〈証拠〉には、午後四時一〇分頃の大出血は、子宮頚管・子宮下部裂傷縫合後、その上限付近からの持続性出血の可能性があるし、また、弛緩出血の可能性があるとの記載があるが、子宮頚管・子宮下部裂傷縫合後、その上限付近から出血が持続していたことを認めるに足りる証拠はないから、右の大出血は、弛緩出血によるものと考えるのが相当である。

(二)  請求原因3の(二)の(3)について検討するのに、厚子の死因は、弛緩出血、子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷による出血に基づくものである(この点は当事者間に争いがない。)から、死因とは直接的な関係のない出血の有無の確認がなされなかったとの主張は、失当である。仮に、子宮不全裂傷、広靭帯内出血の主張とすると、子宮不全裂傷が生じたことを認めるに足りる証拠はなく、証人正岡吉則の証言によれば、医師正岡は応援に駆けつけた直後、子宮頚部横付近に血腫はなかったことを確認した(したがって、広靭帯内出血もなかった。)ことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、右主張は失当である。仮に、被告自身において、これらの有無を確認しなかったとしても、右の不確認と厚子の死亡との間には相当因果関係はないから、その主張は失当である。

3  大出血に対する治療、処置上の過失

(一)  請求原因3の(三)の(1)について検討する。

前記認定のとおり、医師正岡は、出血を弛緩出血と判断した後、圧迫止血のため、子宮腟強填タンポン法としてガーゼタンポンを五枚使用して圧迫止血を図った。

〈証拠〉によれば、弛緩出血に対し、子宮腟強填タンポン法により、ガーゼタンポンを行って止血する場合、子宮頚管内から子宮腔内にガーゼをつめ込んで行き、子宮腔内が一杯になったら、後腟円蓋へ、さらに前腟円蓋ヘガーゼをつめ、腟内にもつめてこの操作は終わりとなるが、ガーゼをつないだ連ガーゼを用いるときには、最も少なくても全部で二〇枚位のガーゼを用いるようにしないと圧迫、止血の効果はないとの説があることが認められる。しかし、他方、〈証拠〉によれば、子宮腟強填タンポン法として、「通常、幅約七cm長ガーゼの約五mを必要とする。」、「長さ約五mの滅菌またはヨードホルムガーゼを(中略)充填する。」、「子宮内への連ガーゼ・タンポンの手技は、やたらとつめ込めばいいというものではない。(中略)最低五~六枚は子宮腔内に入れないと効果はない。」と説明する説もあることが認められる。したがって、必ずしも原告ら主張のような方法のみが正しいものとは断定し難く、右方法に従わなくても、落ち度があったものとは認めることはできない。

仮に、落ち度があったとしても、そもそも、子宮腟強填タンポン法は弛緩出血に対する一つの処置方法にすぎず、保存的療法のすべてを講じてもなお止血し得ない場合があることにかんがみると、右方法が完全になされたとしても、厚子を救命し得たものとは認め難いから、右の点が完全ではなかったこと(右方法を用いず、また、完全になされなかったこと)をもって、直ちに弛緩出血に対する措置において過失があったと評価すべきものではない。

(二)  輸液、子宮収縮剤使用上の過失(請求原因3の(三)の(2))

原告らは、再出血後に医師正岡が到着してからのちは、子宮収縮剤が使用されていない旨主張するけれども、前記認定のとおり、被告は、再出血の直後から午後五時過ぎ頃までの間に収縮剤プロスタルモンF一〇〇〇一Aを子宮筋に注射したほか、数種類の子宮収縮剤を投与しているし、被告本人尋問の結果中には、医師正岡が到着した後、ウテロスパンを筋注で打ったと思う旨の供述部分があるほか、〈証拠〉によれば、午後五時一五分過ぎ頃に輸血が開始されるまで行われていた輸液の中には子宮収縮剤チチナが混ぜられていたことが認められるから、子宮収縮剤の投与の点において被告に過失があったものとは認めることはできない。

再出血の後、厚子に対し、輸液がなされたことは前記認定のとおりであるところ、被告本人尋問の結果によれば、被告が行った輸液の方法は、通常の点滴の方法と同じものであった(速ければ二、三〇分で五〇〇mlを注入)ことが認められる。しかし、当時の厚子の全身状態(ショック状態)に照らし、〈証拠〉を参酌すると、出血量が既に二三〇〇mlに達していたのであるから、通常の点滴の方法による輸液では不十分であって、二連球を使用して(この器具の使用を要求しても酷とはいえない。)加圧して急速に輸液するべきであったものというべきであるから、通常の点滴方法により輸液を行った点に過失がある。

しかし、午後五時一五分過ぎ頃からは、従前の輸液に切り換えて輸血を開始した(片方の腕と両足との三か所から輸血を開始し、残りの腕は血圧測定用に残しておく必要があったから、輸液を行うべき箇所はない。)のであるから、その後、輸液がなされなかったからといって、その点に過失があるものとは認めることはできない。

(三)  輸血上の過失(請求原因3の(三)の(3))

前記認定のとおり、分娩後、午後四時四〇分頃までに確認された出血量だけでも約二三〇〇mlに達した。出血量を基準にして輸血量を決める方法によれば、出血量の一・二倍から一・五倍の量の輸血をするべきであるから、輸血量が約一二〇〇mlであったということは、その量が絶対的に少なかったというほかない。また、血圧を主とした臨床症状による方法に従うとしても、輸血開始後血圧が上昇し厚子の全身状態に改善がみられたことは被告においても主張していないし、そのような事実を認めるに足りる証拠はないから、右観点からも輸血量が絶対的に少なかったことを推認することができる。

厚子は大量の出血によって死亡したのであり、輸血量が少なかったことが死亡の重大な原因となっていると考えられるから、右の点は重大な過失というべきである。

輸血の量が少なかった原因としては、従来輸液を行っていた方法をそのまま利用した(すなわち、輸液のパックの代わりに保存血液のパックを取り替えたにすぎず、約二〇〇mlを輸血するのに約三〇分を要する。)ことにあり、既に輸液の方法において指摘したとおり、輸血においても、二連球を用いて急速に加圧して輸血をするべきであったのに、これをしなかった点に過失が認められる。なお、証人正岡吉則の証言中には、輸血の際、血液のパックを押さえて加圧した旨の証言部分があるところ、仮に、右証言部分を信用するとしても、その加圧の程度は明らかではないばかりか、右の方法によっても望まれるような急速な輸血がなされたものとは到底いうことができないから、右認定を左右することはできない。

(四)  請求原因3の(三)の(4)について検討する。

大出血の患者に対しては、請求原因3の(三)の(4)の〈1〉の全身状態の観察、記録の義務があるところ、〈証拠〉によれば、被告のカルテ、分娩経過表には、血圧は午後四時四〇分頃までしか記録されていない(もっとも、カルテの午後五時三〇分頃以降の最後の辺りには、血圧「測定しにくし」との記載はある。)こと、脈拍(同じくカルテの最後の辺りには「ふれにくい」との記載はある。)、呼吸数、尿量の記録がないこと、子宮の収縮状態の記録も、弛緩出血であるとの診断の記録がある程度で具体的なものはないこと、出血量の測定記録も、前記認定の二回の測定の記録のみであること、輸液や輸血の開始時刻、交換時刻の記載や薬剤について投与時刻の記載も不十分で不正確であること、意識状態の記録も、カルテには、午後五時三〇分ないし四〇分頃から意識うすれていくとの記録があるくらいで、不十分であることが認められる。

右認定事実によれば、被告のカルテの記載等は極めて不十分であるというべきではあるけれども、そのことから直ちに治療や処置が不十分、不適切であったものとは推認することはできない(治療経過は前記認定のとおりである。)。この点の主張は失当である。

(五)  導尿をしていなかったことの過失(請求原因3の(三)の(5))

〈証拠〉によれば、弛緩出血の大きな原因は膀胱の充満にあるから、導尿することが弛緩出血例では非常に大切であることが認められるところ、〈証拠〉によれば、本件では導尿をしていなかったことが認められる。

しかし、証人正岡吉則の証言によれば、医師正岡が厚子の腹部に触った限りでは膀胱にそれほど尿は溜まっておらず、尿が弛緩出血の症状に影響し止血の妨げとなる感じはなかったとの証言部分があり、これに〈証拠〉(入院後の症状の経緯に照らすと尿の貯留は多量であったとは考え難く、子宮弛緩に影響するとは考え難いとの記載がある。)を考え合わせると、導尿しなかったことをもって過失があるものとはいうことができない。

(六)  開腹して子宮全摘手術を敢行しなかった過失(請求原因3の(三)の(6))

前記認定のとおり、輸血開始の前後頃、被告は、医師正岡とともに子宮全摘手術の施行を協議したが、厚子の状態が悪く、手術不能と考え、止血及びショックの改善に全力を尽くすこととしたものである。

〈証拠〉によれば、医師吉田吉信は、この点に関し、(1)子宮下部裂傷の縫合は完全を期し難いため、子宮下部裂傷を縫合し止血を図った直後、敢えて子宮全摘を実行したとしても行き過ぎではない、(2)再出血後の大出血が一応収まった午後四時四〇分頃、子宮全摘を決断実行した方が良かったであろう、(3)輸血開始直後に急速加圧注入しながら実行すべきであった、との考えを述べている。

しかし、前述のとおり、原告らの主張する子宮下部裂傷に対しては縫合の処置がなされ止血されていたと認められるから、右(1)の時点で子宮全摘を敢行すべきであったとはいうことはできない。

また、右(2)の時点は、被告において大出血に対する一応の処置を講じ、輸血を行うべく保存血を注文した直後であって、子宮全摘を行うには、輸血を十分に行い全身状態を改善してから実施する必要があることに照らすと、右の時点で子宮全摘を行うことは事実上不可能というべきであって(厚子の全身状態は悪かったし、仮に、二連球を使用して急速加圧輸液をしていたとしても、その時点までに手術が可能な程度に全身状態が改善されたかどうか疑問である。)、右の点に過失があったものとは認め難いというほかない。

さらに、右(3)の時点については、医師吉田吉信も、〈証拠〉において、あくまでも酸素吸入、急速輸血を行いながら、開腹し、子宮動脈を挟鉗したならば、子宮摘出はあとにして全身状態改善の努力をし、改善をみてから摘出手術を続行するべきであったとしながら、他方で、この際、麻酔方法にも問題があり、気管内挿管による全身麻酔が望まれるが、その技術と設備がなかったとしたら施術は甚だしく困難が予想されると述べており、被告には右技術及び設備がないから(これは、弁論の全趣旨により認められ、被告に右の設備がなかったことはやむを得ないものである。)、右のような方法で子宮全摘すべきであったとするのは過酷を強いるものとの印象を免れず、この点には過失は認め難い。

以上のとおり、この点の主張は失当である。

(七)  転送義務違反(請求原因3の(三)の(7))

医師吉田吉信は、〈書証番号略〉において、転送時期としては、再出血後で一応の出血軽減の時点以降、血液の届く以前の時点、すなわち午後四時四〇分頃から午後五時頃迄の間しかなかったと考えられるとしている。

しかし、右の時点において厚子の搬送が可能であったことを認めるに足りる証拠はない(証人正岡吉則の証言中には、担送できる状態ではなかった旨の証言部分がある。)。のみならず、厚子の容態は急激に悪化したものであり、その頃、被告は、自ら鋭意手当てを講ずるべく、輸血用の保存血液を注文するとともに医師正岡の応援を求めていたのであり、転送を考えつかなかったとしても責められるべきではない。右主張は失当である。

4  以上述べたところを要するに、厚子に対し、分娩誘発を施す必要性はなかったにもかかわらず、被告は、漫然と、プロスタルモンE錠二錠(通常の服用量の二倍の量)を一度に服用させ、その結果、過強陣痛を引き起こして子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷を生じさせ、その後、弛緩出血まで惹起させて、厚子を失血死させたものである。厚子の出血量は測定されたものだけでも約二三〇〇mlと大量であり、特にショック状態に陥ったのであるから、これに対する処置としては、出血量に見合う輸液、輸血を行うことが非常に大切であるのに、通常の点滴の方法で輸液、輸血を行ったため、注入量が絶対的に少なく、ショック状態を改善させることのできないまま死亡させるに至ったのである。

仮に陣痛誘発を施すにしても、点滴方法の誘発剤を使用するか、プロスタルモンE錠を用いるにしても、定められた用量を守って投与しておれば、過強陣痛は生じず、したがって、その後の子宮頚管裂傷、子宮下部裂傷、弛緩出血が生じなかった可能性は高かったものと認められる。また、大量出血の際、急速加圧して輸液、輸血を実施しておれば、ショック状態の改善が図られ、子宮全摘等の措置を実施し得たことも考えられ、救命の可能性も認められるのである。

右の点において、被告には過失が認められ、右過失と厚子の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。

5  右認定のとおり、被告には、前述したとおりの過失があるから、民法七〇九条により、厚子の死亡により生じた損害を賠償する義務がある。

六  損害について検討する。

1  逸失利益 六九七七万六九六九円

〈証拠〉によれば、厚子は、ぱちんこ店を経営する会社の代表者であり、昭和五八年及び昭和五九年の年収の平均は五七三万六一六二円であることが認められるところ、厚子は死亡当時三一歳の健康な女子であったから、死亡しなければ、六七歳まで三六年間就労が可能であり、その生活費は家族構成から考えて右収入額の四〇パーセントを超えることはないものと認められるから、厚子の将来の逸失利益をホフマン式計算方法を用いて年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、六九七七万六九六九円となる。

(算式)

五七三万六一六二×(一-〇・四)×二〇・二七四=六九七七万六九六九

原告福士は、厚子の夫であり、その余の原告らは、原告福士と厚子との間の子であるから、原告らは、厚子の死亡により、右の損害賠償債権を法定相続分に従って相続して取得した。

なお、原告らは、厚子の収入に関し、昭和五七年の収入(一〇五五万二九一一円)をも考慮にいれた平均額を主張しているけれども、〈証拠〉によれば、昭和五七年当時、ぱちんこ店経営は厚子個人名義の営業であったから右金額の収入があったが、昭和五八年に有限会社ヨネダを設立し、以降は右会社がぱちんこ店の経営を行い、同年以降の厚子の収入は役員報酬としてのそれに切り替わったことが認められるから、将来の逸失利益を算定するための基礎となる収入額については、有限会社組織になった後の役員報酬としての収入のみを基準にするのが相当である。

2  慰藉料 合計一五〇〇万円

〈証拠〉によれば、請求原因4の(二)における主張事実が認められ、原告福士は、厚子の夫として、原告一十三、同英美、同綾、同厚一は、厚子と原告福士との間の子として、厚子の突然の死亡により甚大な精神的苦痛を被ったことは明らかであり、前記認定の厚子の死亡に至るまでの経緯、被告の過失の態様、その他本件における諸般の事情を考慮すると、原告福士の右精神的苦痛に対する慰藉料は七〇〇万円、その余の原告らの右精神的苦痛に対する慰藉料は各二〇〇万円とするのが相当である。

3  墳墓葬祭費 九〇万円

〈証拠〉によれば、原告福士は、厚子の葬祭費、墓地永代使用料及び墓地永代管理料として合計四七五万円を支出したことが認められるところ、原告福士及び厚子の社会的地位等から考えて、右のうち九〇万円をもって厚子の死亡と相当因果関係にたつ損害とするのが相当である。

4  弁護士費用 合計八〇〇万円

原告らが本訴の提起及び追行を弁護士に委任し、報酬の支払を約したことは弁論の全趣旨により明らかであり、本件訴訟の経緯、認容額等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にたつ費用としては、原告福士について四〇〇万円、その余の原告らについて各一〇〇万円が相当である。

七  結論

以上によれば、被告は、不法行為による損害賠償債務として、原告福士に対し、合計四六七八万八四八四円、その余の原告らに対し、各一一七二万二一二一円及び右各金員に対する不法行為の日である昭和六〇年七月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負担していることになる。

よって、原告らの請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎 宏)

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